社長の生い立ちと「家づくりへの想い」
転 校 が 多 か っ た 子 ど も 時 代
昭和50年9月 奈良県大和高田市で長男として生まれる。
両親とも富山県出身ですが、
父の仕事の関係で、
幼い頃は奈良県で過ごしました。
当時はとてもひょうきん者で、
友達を笑わせたくて変な顔をしてみたり、
ものまねをしたりしてみんなを楽しませることが好きでした。
そう楽しく過ごしていた小学三年生の時、
滑川市に引っ越しをすることに。
引っ越した先は母の実家。
すごい田舎の平屋建てでお風呂もなく、
歩いて20分程の銭湯に通っていた思い出があります。
転校先の小学校は30人2クラスと少人数。
なので転校生が珍しかったのか、
休み時間になると周りに沢山集まってきて、
すぐにみんなと仲良くなることができました。
ですが、2か月後にまた引っ越す事に。
今度はアパート暮らし。
小学校も転校となったのですが、
前の学校と同じようにすぐにみんなとは友達に。
転校が多かった小学生時代ですが、
持ち前の明るさが幸いしたのか、
楽しく過ごすことができました。
小学校を卒業し、
中学1年生になった時、
家を建てる事に。
実 家 の 新 築 が 将 来 の 夢 の き っ か け に
もともと工作やプラモデル作りなど、
物を作るのが好きだった私。
通学路の途中にあった現場を毎日のようにのぞき、
間近で見る家づくりにワクワクしっぱなし
毎日少しずつ出来上がっていく家を見て、
大工さんって凄い!!!
と心を動かされ、
ボクも大工さんになるぞ!!!
と将来の夢に。
父も建設関係の仕事をしていたためか、
「大工さんはいいぞ〜!手に職付けると一生食べて行けるからな!」
と、大工さんになることを勧めてくれました。
気 持 ち が 抑 え ら れ ず 高 校 中 退
そんな実家の家づくりがきっかけで、
将来大工さんになることを決めた私の思いは本物で、
中学を卒業したら直ぐに大工さんに弟子入りするんだ!
と固く決意。
しかし、
「今どき高校ぐらいは出ておかないと」
という周囲の説得で、
しぶしぶ高校に進学する事に。
けれども頭の中は大工になることしか考えていない。
大工になるのに関係ないと思っている授業には、
全く集中ができない。
大工として一人前になるには修行が必要。
だったら誰よりも早くその道に入った方が、
やっぱり自分のためになる!
そう強く思った私は両親を説得。
私の真剣な気持ちが通じたのか、
両親も高校中退を許してくれました。
憧 れ の 大 工 の 道 へ
父の知人の紹介で地元工務店の親方の家に面接に行き、
無事に弟子入りが決まりました。
その時ちょうど親方の自宅を建て替えていたところで、
すごく大きくて豪華な家を目にした私は、
これからこんな仕事ができるんだ!
と、すごくワクワクしたことを覚えています。
夢だった大工への道を歩き始めた私には、
当時4人の兄弟子がいました。
普段はみんな優しい人たちでしたが、
仕事には厳しく、
「仕事中に刃物を研ぐのは10年早いぞ!」
としかられるので、
仕事前の早朝や休憩時間、
仕事が終わりみんなが帰った後に、
指先が出血するほど一人で黙々と刃物を研ぎました。
それでも、
「こんなんじゃ切れねえだろ!」
と投げ返されたり、
想像してたよりも厳しい世界で、
辛い思いをしたこともたくさんありました。
当時はまだ材木一本一本に墨で線を引き、
ノコギリやノミを使って加工していく手刻みが主流。
大工の技術で家の出来の良し悪しが決まる時代。
どうしたら親方や兄弟子達のように、
綺麗な仕事ができるようになるのか、
毎日研究して訓練し続けました。
そんな修行期間が8年を過ぎた頃、
親方から、
「もう一人前だな」
と声をかけられ、
お祝いしてもらった時のことは、
今でも忘れられません。
納 得 で き な い 仕 事
一人前として認められ、
仕事も任されるようになり、
家が完成する度にお客さんから、
『ありがとう』
と感謝されることがとても嬉しく、
やりがいを感じ、
大工は本当に良い仕事だ
そう思いながら毎日働いていました。
しかしその一方で、
モヤモヤとした気持ちも湧いてくるように・・・・・・
当時勤めていた工務店の仕事には、
直接お客様から依頼を受ける仕事と、
設計事務所の下請けの仕事がありました。
下請けの仕事は設計士と話をしながら進めるのですが、
「そんなやり方ではすぐに問題が起きるよ」
「建物にとってはこうした方が絶対に良いでしょ」
「そんなんではお客さんがかわいそうじゃないか」
そう話しても、
「こっちの方が見た目が良い」
「この方が安くできるから」
という言葉が返ってきて、
納得できない仕事をさせられることも多くあったのです。
直接お客さんと話ができたらこんなことにはならないのに...
そう感じながら悶々と仕事をすることもあったのですが、
大工となって約20年が経ち30代も半ばを過ぎたころ。
自分が納得できる仕事をしたい!
もっといい家がつくりたい!
もっとお客さんに喜んでもらいたい!
そんな気持ちが強くなった私は、
ついに独立を決意。
独 立 に 向 け て
それまでは、
大工は技術があれば良い
ただただそう思ってやってきたのですが、
自分の技術レベルは大丈夫なのか?
積み重ねてきたものは間違っていないのか?
と、少し不安も感じ、
独立前に確認をしておく必要があると考え、
一級建築大工技能士
二級建築施工管理技士
という2つの資格試験を受験しました。
結果は見事一発合格!
これまで磨いてきた自分の腕に間違いはなかった!
と自信を持つことができ、
晴れて独立開業。
独 立 す る も 何 か が 違 う ・・・
しかし独立したからといって、
いきなり自分で仕事をとれるわけもなく、
下請けの仕事をする毎日が続きます。
独立する前のような決まった仕事ではなく、
色んな会社の仕事を請けるので、
工法や建材も様々で、
建築の知識や経験を深められたのは良かったのですが、
何か違う!!!
大工としては一人前になり、
図面どおりに家を仕上げることはできる。
でも独立してやりたかったこととは違う
思いがこもった家づくりができていない
自分が理想と考える家を作るためには、
下請け仕事をしていてはダメなんだ。
お客さんの思いを受け止め、
その思いを家づくりにこめるには、
家づくりの最初から関わらないといけない
とても大切なことを見落としていた私は、
設計も自分でできるようになるために、
建築士の資格を決意
資格取得のために学校に通うことに。
高校を中退した自分が、
まさか40歳を過ぎてから学校に通うとは思ってもいませんでした。
けれども中学や高校時代とは違い、
目標があるため必死に勉強をしました。
その結果、建築士にも合格。
これで家づくりの全てに関わることができる
理想としていた家づくりの準備が整いました。
家 づ く り に か け る 想 い
私が独立してお客様のお話を直接聞くようになってから、
よく耳にする言葉があります。
「とにかく安く仕上げて欲しい」
私が想う家づくりとは、
ただ安いだけの家
を建てることではありません。
近年は全国的に災害が多く発生しています。
幸いにも富山県では大きな災害は起きていませんが、
活断層もあるこの地域では、
いつ自然災害が起きても不思議ではありません。
家は大切な家族の命と財産を守るもの
どんな世代の人でも安心して生活できる、
地震に強く、耐久性の高い家
アレルギーに敏感な小さな子どもでも、
安心して暮らせる自然素材をふんだんに使用した、
健康に暮らせる安心な家
そして、
お客様に喜んでもらえる家づくり
これが私の想う家づくりです。
しかし、だからといって、
高額な家になってしまっては、
建てられる人は限られてしまいます。
なので、できるだけお値打ちに提供するために、
工務店ネットワークに加入して常に情報を集め、
メーカーに直接交渉をし、
仕入価格を抑える努力は欠かしていません。
私は子どもの頃から人に喜んでもらうことが好きでした。
大人となった今は、
建築の技術と経験と知識を活かし、
『安心して楽しく笑顔で健やかに暮らせる幸せな家づくり』
を提供し、
お客様に喜んでもらっています。
地元に密着した工務店だからこそ、
しっかりとした家を建てて、
何十年も守っていく。
お客様の笑顔と幸せを守るために、
誠心誠意、親身のサポートで、
一生のお付き合いをする。
これが私たちHOME CRAFT(NOTO建築)の使命です。
株式会社NOTO建築
代表取締役 能登一養